塚本晋也監督の「野火」を見ました
塚本晋也監督の「野火」を見ました。WOWOWの放送で。監督が主演もしています。
大岡昇平の小説の方はたぶん中学生の頃に読み、その後20才ぐらいの頃もう一度読んだ記憶があります。著名な作品だし名作だとは思うのですが、個人的にはそれほど惹かれる作品というわけではありません。けれど、何度も読んでいるのは、その都度戦争の悲惨さを実感できるからです。
「野火」で描かれている戦争は、終戦間近、フィリピン、レイテ島での戦闘です。ほとんどの部隊が壊滅状態で、食料も水もない中、敵と戦うどころではありません。一本の痩せた芋を奪い合い、錯綜する情報の中でパロンポンというところに行けば船が待っていて日本に帰れるという噂を信じ、命からがらの状態で敗残兵がパロンポンを目指します。
一人二人と病や栄養失調で死んでいく中、待ち構えていた敵の機銃掃射に遭い、何百人もが一度に殺されます。手足は吹っ飛び、脳みそをまき散らした死屍累々の仲間の亡骸の上を進み、運良く命拾いした人もいます。中には仲間を殺してその血肉を食べた者の存在もうかがわせる描写もあります。その辺は塚本晋也監督が得意とするグロテスクな映像なので迫力があります。
もちろんこの小説はカニバリズムを題材にしたホラーではありません。人が人でなくなっていく戦争の凄惨さを、その極地まで描いたものです。
戦後70年が経って、当時の悲惨な状況を実際に体験した人もだんだんと少なくなってきました。日本のいまのこの平和は70年という長い歳月をかけて培われてきたものです。のんきにPokémonGo!に夢中になっていられるのも基本的に平和な社会があってこそです。
自衛隊が海外に行って、同盟国を守るために戦闘に巻き込まれたとします。それはもうすなわち戦争に突入したと同じ意味で、安全保障関連法は、日本にそれができるようにしようとするものです。
僕たちが生きたこの70年は、日本にとって一番良い時代だったのではないかと思うことがあります。僕たち以降の世代は、戦争に行かざるを得なくなるかも知れず、テロの脅威に怯える毎日を送らなければならなくなるかも知れないのです。
憲法(9条)を変えるということは、それが後の世代にどれほどの影響を及ぼすかということを、私たちはよく考えなければなりません。選挙権が18才にまで引き下げられたいま、若い人たちは、自分たちがもしかしたら戦場にかり出されるかも知れないことを考えて、一票を投じなければなりません。
作品とほぼ同じような体験をしながら、大岡昇平は運良くアメリカの野戦病院で手当を受け帰国し、79才まで生きました。その人間の生命力というかしぶとさにも感心します。
僕はそれは大岡が、あまりお国のためなどというガチガチの信念に囚われていなかったのが幸いしたのではないかと思っています。情熱的で信念の強い人間はスタートは良いのですが、意外に脆いものです。特に信念らしきものは持たず、自分のいま置かれている状況を受容し順応できる人間の方がしぶとい気がします。それは現代社会における会社や組織においても同じなのではないかと思います。(知久雅幸)