差別ということについて(1)
相模原の「津久井やまゆり園」で19人の入所者が刃物で殺害され、26名が重軽傷を負わされる凄惨な事件が起きました。
19人という死者数はテロなどの特殊な事件を除けば、戦後の殺人事件としては断トツに多い人数です。容疑者の部屋からは薬物のようなものが見つかったという報道もあり、何が原因でこういう残酷な事件が起こってしまったのかについては分かりませんが、前代未聞の凶悪事件であることは間違いありません。しかし単に一人の狂人が起こした凄惨な事件として片付けてはいけないと思います。
障がい者は生きていても仕方ないという歪んだ妄想に囚われた犯人は、就寝中の障がい者を次々と刃物で殺していきました。この犯人の独りよがりで暴力的な考えは優生思想に基づく非常に危険なものです。ナチスは戦時中、ユダヤ人虐殺よりも前に障害者やLGBTの人たちを密かに抹殺しました。社会の役に立たない障がい者やLGBTの存在自体を害悪としたからです。
こういう独りよがりの偏った思想は不健全で危険なものですが、ネットでは「重度の精神障がい者は安楽死させた方がよい」という犯人の考えに、共感を示す声もあります。
また昨年の11月には茨城県の教育委員会で長谷川智恵子氏がこんな発言をしています。
「妊娠初期にもっと(障害の有無が)わかるようにできないのか。(教職員も)すごい人数が従事しており、大変な予算だろうと思う」
「意識改革しないと。技術で(障害の有無が)わかれば一番いい。生まれてきてからじゃ本当に大変」
「茨城県では減らしていける方向になったらいい」
障がい者は金がかかるから経済的なことを考えたらいなくなってくれた方がいいという主旨です。生まれてきてからでは大変だから生まれる前に無きものにしてしまえというこの言動は教育委員という立場の人の発言としても看過ごすことはできません。
ただし一方ではこのような優生思想に確信を持っている人がいるのも事実です。優生思想の基となっている「優生学」は、ダーウィンの進化論を起源に生まれたとされています。人間(人間以外のものも含むかも知れませんが)は、社会に適応すべく進化を続け、優秀な進化を遂げたものだけが社会にとって必要であり、価値のある人間だとする思想です。
普段私たちはこの優生思想を、歪んだ暴力的な思想として、理性や知性で抑圧していますが、戦争などの非常事態に置かれると、障がい者は足手まといの存在でしかないということになり、一気に社会に蔓延します。同様に、生産性や効率が最優先とされる行き過ぎた自由主義のもとでも、ともすれば勢いを持つことがあります。
いまの日本は経済格差が拡がり、貧困に喘いでいる家庭が多くなってきています。貧困が原因で子供や若い人たちが社会参画のチャンスを奪われてしまうこともある。今回の犯人のように、重度の障がい者が何もできないくせに国の税金でのうのうと生きているから、本当にお金が必要な人たちのところにお金が回ってこないんだ、という感情を持つ者が出てくるのも当然と言えるのかも知れません。
優秀な遺伝子を掛け合わせてデザインされた子供も生まれてくる時代です。優秀な人間の命だけが大切で、社会的に見て劣った人間の命は無駄なものというような考えに人が囚われてしまう機会も増えていると思います。(つづく)